私はアメリカでTESOL(第二言語としての英語)の教員資格を持っています。
その立場から、基本的に日本での早期英語教育に反対か・賛成かと問われれば
反対派に属します。
その理由としては、英語をしっかりと教える人材確保・育成がままならないうちに
グローバル化の波に押されて英語教育の早期化を強行している感が強いから。
(***主に、「学校」で行われている早期英語教育に対する意見です)
じゃあ、子どもが小さいうちから
バイリンガル育児をしている私は間違っているのか?
と聞かれれば、決してそうは思っていません。
(どっちやねん!)
早く始めるメリットも、もちろんあります。
バイリンガルの定義とは?
“バイリンガル(bilingual)”って個人によって捉え方が全然違います。
私のバイリンガルの定義は、
両言語がAcademic以上のレベルまで達していて
人間的に、両方の文化背景まできちんと理解していることです。
ただ英検1級だから。TOEICが満点だから。
そういうテスト基準のモノサシではありません。
両言語のニュアンス・文化的違いをきちんと理解し
どんな場面でも言葉をツールとして操れて初めてバイリンガルと言えると思っています。
英語=恥ずかしいとなる前に開始できる
バイリンガル教育を早く始めるメリットは、
「恥ずかしい」という概念ができあがる前にはじめられること。
私は義務教育開始から、英語を勉強し始めました。
アルファベットの書き方から習ったほど。
まさに早期英語教育とは無関係の環境で育ちました。
それゆえに『英語っぽい』発音=恥ずかしいという方程式が出来上がっており、
ザ・カタカナ英語に落ち着きを感じながら過ごしていました。
英語っぽい発音で、クラスの前で発表しようもんなら
笑われる・調子に乗っていると思われる、とにかく恥ずかしい。
そんな環境でした。
後々、カタカナ英語を続けていても、
自分の英語が通じるようになることはない。
と気づくまで、カタカナ英語を継続。
今、自分の子どもたちを”バイリンガル育児”していますが
躊躇せずにサラ〜っと英語を話していて、
あ、小さいころから始めるメリットはこれか〜と感じています。
異文化に早くから触れることで、文化の壁が低くなる
異文化への理解はバイリンガルである・ないに関わらず、
人間性を形成する上で、とても大事だと思っています。
私はアメリカのド・田舎に留学し、
異文化にあまり触れたことのないアメリカ人と大学生活を送りました。
日本にいる、異文化を学びたい傾向にあるアメリカ人たちとは違い、
異文化に触れる機会がなかった人たちは、平気で差別をしてきました。
中には教授という存在の人であっても
授業中にみんなの前で堂々と差別をしてくる人もいました。
バイリンガル教育を早く始めるメリットは:
言葉というツールの習得が以前に、
異文化を『異なる存在』だと認識する前に、分け隔てなく、
多の文化を寛容に受け入れられる、人間性の構築にあると思っています。
英語の種まきは、基礎体力づくり
3歳からサッカーを習ってもサッカー選手になれる人は一握り。
だからといってサッカーを3歳から始めるのは無駄ですか?と聞かれれば
無駄ではないですよね。
基礎体力を築き、スポーツの楽しさを学び、習い事を継続することで忍耐力を養えたり。
たとえサッカーを継続しなくとも、その体力を生かして野球部へ転身!なんてのもあり。
たとえ、サッカー選手にならなくとも、メリットは多々あります。
私は、英語をその立ち位置で早期から始めることには賛成です。
『英語って楽しいな』と思えればそれで十分。
後々、本人が本当にやりたい!と思った時に、
『体力づくりの基礎ができている』というのは十分な強みです。
そしてたとえ、幼い頃に行ったバイリンガル教育が
『あれ、意味あったかな?』と疑問に思うほど、バイリンガルの世界から遠ざかった場合でも
それは違う形となってその子の人間性として、残っています。
サッカーを早く始めてサッカー選手にならなくても
その時に培った基礎の力が他にも活かせるのと一緒。
英語って楽しいな。
ママと歌うたって、絵本読んだの楽しかったな。
異文化の先生たちと触れ合ったの、楽しかったな。
これで十分、その子の人生にポジティブな影響を与えています。
まとめ:バイリンガルの早期開始メリットは主に人間力を育てること
なんといっても、一番のメリットは
異文化(異言語)に対しての壁を感じる前に
素直な人間力を育てることができること。
英語アレルギーを発症しなくて済む。
恥ずかしいと思う前に始める。
異文化を異なる存在だと認識する前に異文化に触れる。
私は、大げさではなく、これは間違いなく世界平和にもつながると考えています。
言語習得以前に
人間力の育成に多大な影響を与えてくれるのが
バイリンガル育児を早くから開始するメリットです。