アメリカ生活

子育てにおける常識のなさ・甘やかし、そして批判?

こんにちは、JapaneryのYukaです。

『朝からチョコレートなんて食べさせるなんて』
『ちょっと泣いただけで抱っこするなんて』
『周りの子に意地悪したのに怒らないなんて』

といった具合に、公共の場所で幼い子どもを見かけると
『●●するなんて甘やかしている』
『●●するなんて常識がない』

という心の声が
聞こえてくる瞬間はありませんか?

はい、子育てをする前の自分はまさにそうでした。

今では年齢と経験を重ねたのはもちろん、
子育てをするようになり自分もその立場に身を置くようになってからは
だいぶ理解できていると思い込んでいました。

とはいえ・・・。
この記事ではどれだけ自分がまだまだ批判的だったのか?について綴っていきます。


教訓:あるママとの出会い

ある日Facebookを開くと
知人の娘さんに(3歳)難病が見つかり
寿命が残りすくないということを知らされます。

だんだん機能を失う病気。
てんかんを繰り返す過程で
視力を失い、運動能力が低下して歩けなくなり、
最終的に食べ物を飲み込むということさえできなくなる。
徐々に脳が死んでいき、様々な機能を失い
大人になるまで生きられない死に至る病気。

そんな難病が判明したとのこと。

食べられるうちに、好きなことを目一杯食べさそう。
走れるうちに、目一杯走らせよう。
石を池にポチャンポチャンできる間に何回でもさせてあげよう。
公園で走り回って遊べるうちに、何度でも行かせてあげよう。
自分で滑り台ができるうちに、何度でも滑らせてあげよう。

そんな気持ちを綴っておられました。

その娘さんは、まだ症状が進行しておらず
現時点での運動能力等、見た目や行動はいたって普通の3歳児です。

もしその娘さんの病気事情を知らなかったら・・・

私は難病の知らせを聞いたとき、ふと考えました。

もし、私が全くその子の病気を知らない他人だとします。


公園で見たその子が池に石を投げ入れ続けていたらどう思っただろう?
うちの子も真似するし、下の子が池の周りに行くと危ないからやめてほしいな・・・と思ったかもしれない。


朝からチョコレートしか食べたくないと言ったからとチョコレートを食べていた姿を見たらどう思っただろう?
私もチョコレートほしいと言い出す我が子に、言い聞かすことを面倒だなと思ったかもしれない。

と、そんなことを考えました。

うん、間違いなく心の中で、その子の親に対して小さな批判の気持ちを持っていたと思う。

そんな自分を改めて反省しました。

人間、批判する前に、誰しもが何かしらの事情を抱えていることを常に知っておくこと

難病という珍しいケースだけでなく
他人からは知り得ない事情ってたくさん存在しますよね。

例えば『あのママずっと携帯見てるな、子供の相手してないじゃん』といらっとするかもしれません。

人間、見えないところで何やかんや事情を抱えています。
でも、それって知らない人から見たら、もしかしたら

『子どもを放ったらかして携帯ゲームしている怠慢母親』と見られているかもしれない。


でも、、、、
もしかしたら難病の進行を遅らせる唯一の手術日が変更になった知らせを受け、
変更日の連絡を待っているのかもしれません。

もしかしたら受け入れ先の病院が定員オーバーになってしまい、受け入れ先がなくなった連絡が来たばかりかもしれません。

もしかしたら、どんな小さな情報でも入手するために難病の研究を読んでいるのかもしれません。

もしかしたら、膨大な治療費をどうやって工面しようか検索しているのかもしれません。

私は、難病の知らせを受けた彼女が公園で子供を遊ばせながら
携帯とにらめっこしていた本当の理由を知っていたので幸いでした。

彼女が難病の記録を公開してくれたことにより、
彼女を人として、親として心の中で批判せずに済んだだけの話なのです。

『子ども放置で携帯かよ』と心の中で批判せずにすみました。

まとめ

物語の全容を知らずに
一瞬だけを切り取って批判することって
本当に簡単です。

頭では理解していても実際に、
もし彼女が難病のことを公表しなければ
間違いなく私は、彼女を親として心の中で批判していたと思う・・・。

そんな自分に少し絶望感を抱きながらも、
彼女がプライベートを公表してくれた勇気によって、
少しだけ、1ミリだけでも人間としての心が成長できたのかな。

これで明日から街中で『ありえない』と思うシーンに遭遇しても
『これは物語のただの1シーンにすぎず、全容を知らない自分に批判する資格はない。
何か私にはわからない事情があるかもしれない』
と思えるのかな。

批判であふれた世の中に
少しでも優しさが広がりますように。

BE KIND.


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