出産・子育て

親の息抜きに罪悪感は必要か?

たまには息抜きも必要だよね

と、夫も言ってくれることだし、
美容院に出かけて、友達とランチしてみることにした。

子どもほったらかして、遊びに行くなんて

(主婦で)お金稼いでないのにいいご身分

仕事で疲れてる夫に子ども任せて自分だけ贅沢なんて

みたいなスレッドを見かけるたび、心苦しくなります。


この記事を読んでほしい人:

  • 子どもを置いて出かけることに罪悪感を感じる
  • 子どもを置いて出かけることに理解を得てもらえない状態にいる
  • 子どもを置いて出かけることを勧めてもなかなか出かけてくれない妻(夫)がいる
  • 子どもを置いてよく出かける嫁・婿(娘・息子)をよく思っていない祖父母世代


現代子育ての苦しい部分

私のおばあちゃんが良く言っていました。
『昔はこんな贅沢出来んかったんやで』と。
『子育ての息抜きにと、ちょっと畳の上でうとうと寝てると姑に蹴飛ばされた』

と嫁・姑のドロドロバトル話をよく聞かされました。

でもねでもね・・・

掘り下げて聞いて行くと

『いとこのお姉ちゃんが子どもをみててくれる間に家事をしてた』
とか

『親戚の集まりでは、みんなのご飯作るの大変やったけど子どもを見ててくれる人はたくさんいた』

『子どもが昼寝してる間は、姑の末っ子が高校生だったから、見ててもらってその間に畑仕事してた』

つまり、子どもを家族の誰かに見てもらって、自分の仕事(家事や畑)を自分のペースでこなす時間があった。

核家族化が進んで、普段の仕事をこなしながら子どものお世話をするのはほぼ100%親の仕事になりました。(主婦(夫)の場合)

これこそが現代子育て世代の苦しさだと思っています。


普段の家事、全て中途半端。というか邪魔されながらなんとかこなす状態

1)郵便局に行って切手を購入して、
2)夫が買った服のサイズが合わず、お店で服のサイズ変更しに行って、
3)借りてた絵本を図書館に返しに行って、
4)きれていた日用品を買いにいく。

この1)~4)の用事って、自分1人なら1〜2時間で終わる事ですよね?

それなのに、子どもという要素が加わると、そうはいきません。

出かけようと思ったら靴下を履かせたことに怒って泣き叫ぶ子ども。
一度靴下を脱がせて、自分で履けるまで待つ。
チャイルドシートに乗らないと言いだし、なんとかして乗ってもらう。

1) 郵便局に行って切手を購入して、
郵便局の駐車場でこけて絆創膏がほしいと泣き叫ぶ。
機嫌悪いついでにお腹すいたと怒り出す。
チャイルドシートにのせようと思ったら、赤ちゃんがウンチしていたので車内でオムツを変える。
次の目的地に行くために、また子どもをチャイルドシートに乗せる。

2) お店で服のサイズ変更しに行って、
さぁレジに並んでやっとサイズ変更の対応してもらえる、と思ったら上の子が『おしっこ行きたい』というので、トイレへ行き、再びレジに並び直す。

お昼ご飯の時間が近づいてきたので、念のため握っておいたおにぎりを車内で食べさせる。
車へのって図書館へ行く途中に子どもが寝てしまう。

一番上の子のお迎えがあるので、起きるまで待つということができず、お昼ねしたばかりの子どもを起こして図書館へ絵本を返却しに行く。もちろんグダグダ。

3) 借りてた絵本を図書館に返しに行って、
ここで帰りたいところだが、洗剤が切れてしまいそうなのでなんとしても今日買いに行きたい。すると次は赤ちゃんが車で寝てしまう。
先ほど昼寝して起こされて不機嫌な上の子と、寝たばっかりの赤ちゃんを抱え、日用品コーナーめがけて半ダッシュ。


4) きれていた日用品を買いにいく。

子どもという要素が加わると、1)〜4)までの簡単な用事に、『邪魔される要素』が↑こんなにたくさん加わり、なんとかこなした状態になります。

邪魔されず、スムーズにこなす4つの用事と、
かなり邪魔されながらこなす4つの用事では

達成感も、疲労度も全く異なります。笑

でも核家族化が進み、『頼れるイトコのお姉ちゃん』や『姑の末っ子』や『祖父母』が近くにいないので仕方ないんです。
ほんとは1時間子供を誰かに見てもらって、1人でチャチャっとやってしまいたい用事も、子どもを連れて行く必要があるんです。

(*子どもとの生活に文句を言っているのではなく、たまにはチャチャっと1人でサクっと用事を終わらせたい、親の本心ですw)


友達とランチに行ってみた

私も、とはいえなかなか1人で出かけられないのですが。
このままではマズイと思い、夫くんが背中を押してくれたこともあり
友達を誘って大人だけでランチに行ってみました。

ランチに行く前に
郵便局に行って用事を済ませ
友達と合流し
メニューを吟味してオーダー。
おしゃべりしながら美味しいご飯を食べる。
自分の行きたいタイミングでトイレを済ませ
レストランをそろそろでてもいいかな、というタイミングで出る。
まだ話し足りないね、とデザートの美味しいカフェへ移動し
デザートを『ちょうだい!』とせがまれることなく暖かいコーヒーを暖かいまま1杯いただく。
帰り道の途中、切れていた洗剤の存在を思い出し買い足して家に帰る。

ヤバーーーーーイ。

なんだこの達成感は!?!?!?

チャチャっと済ませられる用事をササッと済ませられる。
時間をかけてメニューを吟味して食べたいものを決める。
おしゃべりしたいだけできる。(遮られない)
自分のアツアツのものをやっと食べれると思った瞬間に『おしっこ行きたい』とも言われないし、『私も一口ちょうだい』と結局半分以上食べられることなく、デザートまでゆっくり食べられた。しかも暖かいコーヒーを暖かいまま全部飲み干す。
急かされることなく、全部自分のペース。
あ、買うの忘れてた、とチャチャっと車を停め、洗剤を買い足す。

全部とっても小さな幸せなんですが、かなり達成感でいっぱいになりました。


親は『たまの贅沢が必要』なのではなく『たまには大人のペースで物事が進められる自由』を求めている。それが親の『息抜き』につながる。

たまの息抜きに、美容院行って、コース料理食べる必要ないんです。
(あ、もちろんそれも嬉しいよw)

まずは、人間として、1人の大人として
『自分のペースで』過ごしたいんです。

目の前にアツアツのグラタンが出てきて
とろっとろのチーズ絡ませて食べるグラタンが最高に好きです。

でも目の前にアツアツグラタンが登場した瞬間に
『うんち行きたい!』と言われ、トイレに連れて行き、そして手を洗うときに袖が濡れ、着替えさせている間にチーズが伸びなくなるほど冷めてしまったグラタンにそれほど魅力は感じません。むしろ、『アツアツのグラタンが食べたかったのに』というフラストレーションが募るばかり。

アツアツグラタンを最初から最後まで自分のペースで食べたい。

ただそれだけです。

子どもがいると、その環境がなかなか作れないので

親は息抜きを求めて『出かける』しかないんです。


まとめ:たまの息抜きを許せる人でありたい

私は妻として、現役子育て世代の母として、
たまの息抜きを許してほしいと思うし

今後祖父母世代になった時、
『グラタンを最初から最後まで邪魔されることなく食べたい』気持ちを
許せる人間でいたいと思っています。

そしてその素直な気持ちに、罪悪感を持つ必要はないと思っています。
だって人間の欲求ですもん。

子どもが『アツアツのグラタンなんてどうでもいいから今トイレに行きたい』という欲求を私にふっかけてくるのと一緒で(笑)

私には『アツアツのグラタンを食べたい』という私の欲求があるのです。

子どもの欲求を普段聞いてあげてるんだもの。

親のたまの息抜きだって

罪悪感なしで

楽しむことの何が悪いんですか?

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